ランチジャー本出版への道〜その3「みうらじゅんさんとランチジャーと、ぼく。」

去年の1月25日(土)、ぼくはみうらじゅんさんに、ヤフオクで競合者と26回の入札戦の末、530円で落札した「タイガー ランチジャーLJC-120」をプレゼントした。場所は渋谷パルコで開催されていた「国宝みうらじゅん いやげ物展 inTOKYO」のサイン会会場。

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みうらじゅんさんにプレゼントした1970年代製のタイガーランチジャー。もちろん未使用。

 

なぜ、ぼくが憧れの人に重さ1キロ近くもある昔の弁当箱という“いやげ物”なんかを渡したかというと、みうらじゅんさんがかつてランチジャーユーザーだったことを知っていたからだ。

 

www.youtube.com

 

これは、みうらじゅんさんが山田五郎さんをゲストに、モリタタダシさんを進行役に2002年〜2004年に音楽情報サイト「BARKS」でインターネット放送していた「みうらじゅんの仮性フォーク」というラジオ番組の音源。みうらじゅんさんが高校から録り溜めていた400曲近い「DTF(童貞フォーク)」を、毎回アルバム(カセットテープ)の片面ずつ、みうらじゅんさんの説明と山田五郎さんのツッコミ入りで聴いていくという内容だ。

 

みうらさんとランチジャーにまつわる思い出話が登場するのは、サード・アルバム『角砂糖がコーヒーの中で崩れる時』収録の「親切な女の子」という曲で、先ほど挙げたYouTube音源だと35:50〜から始まる。

ランチジャーの話がみうらじゅんさんの口から語られるのは曲終わりから(38:41〜)なんだけど、名曲「親切な女の子」込みだとよりみうらじゅんさんの高校生当時の雰囲気が味わえると思う。

以下は、みうらさんから語られた「親切な女の子」の制作エピソードを書き起こしたものである。

ぼくね、この頃ね、みんなに馬鹿にされてたんですけど、馬鹿にされたことが一個あったんですよ。電車の中で、特に。

「タイガーランチジャー」って持ってたんです。タイガーランチジャーってデカい箱でね、保温が効く、ほかほかのご飯が食べられる。出た頃なんですよ。たぶん。うちのオカンが買ってくれたんですよ。「昼の冷たい飯を食うのもヤだろ」ということで。

そのランチジャーのバッグがよく市電のドアに挟まって出られなかったんですよ。そこで助けてくれたんですよ。ランチジャーが首からガーってなってるところを女の子が助けて、親切だと。命が危なかったですから。首にヒモがかかってましたから。

たぶん、そのことを言おうとしてたんだと。ランチジャーのことまで言えなかったけど。

今では文科系の教祖みたいに思われているみうらじゅんさんが、高校生の頃にランチジャーを弁当箱にしていたとは。当時ランチジャーは今よりもずっと、大人の、しかもガテン系の職人さん御用達というイメージが強かったハズ。

通っていた高校が仏教系で周りはヤンキーばかりだったと何かのエッセイに書かれていたが、みうらじゅんさんにとってランチジャーはヤンキーたちとタメを張るためのステータスアイテムだったのかもしれない。

 

事情はどうあれ、みうらじゅんさんがランチジャーユーザーだったとは嬉しい驚きだった。同時に「ヤバい、これは早急にランチジャー本の発行を実現しなければ」とも思った。

みうらじゅんさんは、同業者の中でいちばん憧れている人だ。みうらじゅんさんが発信しているようなことをやりたくて、ぼくはライターになったようなもんだ。一時期(今でもだけど)、本気で名刺の肩書きを「みうらじゅんインスパイア系」にしようと考えたこともあった。

みうらじゅんインスパイア系がいちばんしてはならないこと。それは、みうらじゅんさんの後を追わないということだ。みうらじゅんさんがこれまで発信してきたマイブームの数々。その領域には入らずパクらず、自分で新たな面白いと思うことを探し、発信する。

実際ライターになってみると、それが如何に難しいか気づかされた。ぼくなんかが興味を湧いたものは大抵、みうらじゅんさんがすでに手を付け、発表している。他の同業者となら素材が被っても「内容で勝てばいいんだろ」となるけど、みうらじゅんさんだけは被った時点でぼくの負け。お釈迦様の手のひらで踊らされている孫悟空みたいなもんである。

みうらじゅんさんだけにはランチジャーを取られたくない)

そして、ぼく発のランチジャー本の企画が通ったときには、ぜひみうらじゅんさんの原稿を載せたいという気持ちもあった。高校時代のランチジャーの思い出をエッセイにしたためてもらったり。

憧れの人と同じ本、しかもぼく企画のランチジャー本に原稿を載せることができたら、こんな素敵なことはない。そのためにはみうらじゅんさんより先んじなければならない。

「親切な女の子」でランチジャーの思い出を語っている音源を聴いたとき、同じランチジャー愛好者だという嬉しさと共に焦りが生まれたのはそんなワケである。

 

以下は、みうらじゅんさんとの握手会サイン会レポートである。

国宝みうらじゅん いやげ物展 inTOKYO@渋谷パルコ

ぼく「(「とんまつりJAPAN」のカバー裏ににサインを書いてもらいながら」)はじめまして。ライターやってます」

みうらじゅんさん「へええ。そうなんだ。(隣のスタッフさんに)マエケンみたいだね」

※この日ぼくはクルクルの髪型にグラサンをしていた。マエケンとはシンガー・ソングライター前野健太さんのこと。

ぼく「えのきどいちろうさんと親しくさせてもらっています」

みうらじゅんさん「へええ。えのきどさんとも最近全然会ってないなあ」

ぼく「最近、タバコをやめられたそうです」

みうらじゅんさん「そうなんだ。みんなやめちゃうんだよなあ。オレだけだよ、吸ってるの」

ぼく「(抱えたいた袋を取り出し)これ、プレゼントです。みうらさんが昔ランチジャーを使っていたってラジオで知って、当時のものを持ってきました」

みうらじゅんさん「(箱を開けて)うわっ。ホントだ。これ、使っていたのと同じヤツだよ。どうしたの?」

ぼく「ぼく、昔のランチジャーが好きでヤフオクで買って集めてるんです。で、今年ランチジャー50周年で、本を出版したくていろんなところに企画を持ち込んでて」

みうらじゅんさん「(サングラスの奥の大きな目でじいっとぼくを見て)へえええ」

ぼく「もし企画が通ったら、みうらさんにもご協力いただきたいんですけど」

みうらじゅんさん「いいよいいよ。よろしく頼むね」

ぼく「ありがとうございました」

 

乃木坂46の握手会と違って“剥がし”がいなかったのでけっこう話せた。

みうらじゅんさんにランチジャー本の企画を進めている馬鹿がいると知ってもらえたこと、そしてリップサービスとはいえ、実現の際には「協力する」と言ってもらえたことは嬉しかった。

それからしばらくたったある日のこと。きっかけは忘れてしまったが(ツイッターでフォローしている「みうらじゅん公式サイト」からの情報だったかも)、みうらじゅんさんが雑誌「Pen」2014年2月15日号「おいしい弁当。」特集にエッセイを寄稿していることを知った。

Pen (ペン) 2014年 2/15号 [おいしい弁当]

Pen (ペン) 2014年 2/15号 [おいしい弁当]

 

 

すぐに本屋に行き、「Pen」の特集ページを開いた。

みうらじゅんさんのエッセイのタイトルは、「童貞時代の僕を翻弄した、思い出のランチジャー」

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この号が発売されたのはサイン会から1週間後の2月1日。当然、みうらじゅんさんはそれよりかなり前に原稿を書き、編集者に渡していたことになる。

ぼくがお釈迦様の手の平から抜けるのはまだまだ先のことのようだ。

(続く)