読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

唯一無二の声、三井弘次。

映画など

 最近、魅力的な声の役者が少なくなった。昨年、大手ニュースサイトが「いい声の俳優ランキング」を発表したのだが、1位・大和田伸也、2位・玉木宏、3位・竹中直人という結果だった。たしかにこのお三方、いい声だと思う。渋くて低くて、女性なら声だけで惚れてしまうかもしれない。

 しかし、ぼくにとって「魅力的な声=美声」ではない。むしろ、役者なら汚いぐらいの悪声の方が人間味を感じられる。

 戦前から俳優として活躍してきた三井弘次(1910〜79)の声は、まさしく一度聞いたら病み付きになってしまうほどのイイ声だ。腹、というよりは鼻の奥から出しているような独特の高さのねちっこい声。似たような声の俳優としては、故・山田辰夫(そういえば、三井と山田辰夫は骨格、風貌も似ている)や哀川翔が思い浮かぶが、三井の声は両者よりもアクが強く、そして甘い。

 楽器屋のショーケースに飾っている超ビンテージのエフェクターを喉に噛ませた男、三井弘次。

 パッと見はどこにでもいる細身のおじさんなのだが、妙に目つきが鋭く、油断ならない。物語のカギを握る大人物といった役柄には向かないが、どこかうさん臭く、だらしない小市民――たとえば、親戚中から鼻つまみ者になっているおじさん(『あなた買います』)や、出世レースから外れ、部下にクダを巻いている上司(『日本一のホラ吹き男』)といった人物を演じると彼の風貌と声がハマりにハマる。

 

 そんな三井に惚れ込んでいた黒澤明は、『悪い奴ほどよく眠る』『天国と地獄』の二度に渡って新聞記者役に起用している。『醜聞』のカメラマン役を含めたら三度になる。岡本喜八監督作の『日本のいちばん長い日』でも政治部記者役を演じていたっけ。

 ぼくは業界新聞社に勤めていた経験から、大物監督たちがこぞって三井弘次を新聞記者に配役した気持ちがわかる。今の大手新聞社はどうか知らないが、業界新聞にはたしかにまだいたのだ。こういう、のらりくらりと取材対象に迫る食えない記者が。

 新聞記者と同様、三井は酔っぱらった演技も絶品だった。小津安二郎の『早春』、今井正の『ここに泉あり』では加藤大介と一緒になって生き生きとタチの悪い酔っぱらいを演じている。

 三井の酒癖の悪さは演技ではなく地だったようで、戦後、松竹大船に戻ってきた頃から三井と親交のあった新藤兼人監督は、自著『わたしの出会ったひとたち』の中で次のように分析している。

「彼の正義が些細なまがったこともゆるさないのだ。口より早く手がとんだ。撮影所という生なましい人間葛藤のジャングルの中では、個人の正義などはひとたまりもなくおし潰される、そのたびごとに彼の酒の量はふえていった」

 三井がクダを巻くときの啖呵は決まっていた。撮影現場に酒の匂いをぷんぷんさせてやって来た自分を咎めない進藤監督に据えた目を向け、「おい、進藤」。続いて口から飛び出すのは十八番の文句。

「言うこととやることがちがっちゃいませんか」。

 

 三井を俳優として最も重宝し、最もその酒癖の悪さの被害を受けたのが、黒澤明だろう。

 昭和46年12月22日早朝、黒澤は自宅風呂場で自殺未遂を起こす。当日、三井は女優の高尾文子と共に朝のワイドショー『小川宏ショー』に出演。初恋談義を披露する予定だったのだが、スタジオに「黒澤明、自殺を図る」の第一報が飛び込んでくるや、「オヤジさんが自殺するなんて、そんな馬鹿な!」と漏らしたきり、番組終了まで絶句したまま。

 三井がこれほどまでにショックを受けた理由。実は、黒澤が自殺未遂を図る前夜、三井は同じく黒澤組の役者である藤原鎌足とそれぞれの夫人同伴で黒澤邸で酒を飲んでいたのだ。そして、酔っぱらった彼は黒澤に向かって口走ってしまう。

「映画を作らないなんて、お前さん卑怯だよ」。

 当時、黒澤は米ハリウッド資本の『トラ・トラ・トラ!』の監督を降板させられ、前年、自宅を抵当に入れてまで作った5年ぶりの監督作『どですかでん』は記録的な不入り。周りの俳優や監督たちは希望のない映画界に見切りをつけ、テレビに活動の場を移していく。映画監督として窮地に追い込まれていた黒澤に、三井は酒の勢いで最大のタブーを口にしまったのだ。

 三井は黒澤の演出で『赤ひげ』で長屋の酔っぱらいを見事に演じているが、当夜の彼はまさしくあの場面さながらのタチの悪さだったのだろう。三船敏郎でさえ黒澤に対しては邸に向かって散弾銃をぶっ放したり、「黒澤の野郎、バズーカーでぶっ飛ばしてやる!」(高田純次か)と凄んだだけだったのに、三井はその声で黒澤に自ら刃を抜かせたのである。

三井は藤原鎌足と共に病院に駆けつけ、黒澤に土下座して謝ったらしい。とにかく、未遂で済んでよかった。

 

 ただし、三井がもっとも輝いた作品が黒澤監督作『どん底』であることは紛れもない事実。この作品での彼の役どころは、江戸時代の貧乏長屋に住む住人のひとり、遊び人の喜三郎。なまけ者のニヒリストで、人にたかった金(五文)で博打を打ち、負けたところで「俺より上手のイカサマ師がいるなんて頼もしいじゃねェか」とうそぶく。 

 それが演技なんだか地なんだかはともかく、艶のある声と人を食った芝居で三井は三船敏郎山田五十鈴ら主演俳優陣を抑え、その年の毎日映画コンクールブルーリボン賞助演男優賞を獲得している。

『どん底』は黒澤作品の時代劇の中では合戦シーンもなく、比較的地味な印象の映画だ。しかし、三井があの声とあの顔で「♪コーンコーン、コンチキショ」と馬鹿囃を唄いだすたびに、「よ、待ってました!」と声をかけたくなる、彼の独演会のようなミュージカル・ビデオのような作品だ。

 

上田吉二郎についてはまた今度書く。

 

f:id:bonnieidol:20150327170604j:plain

『悪い奴ほどよく眠る』で新聞記者役を演じる三井弘次(中央)。