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生駒里奈センター「サイレントマジョリティー」への涙

各グループからの候補曲で編曲された煽りBGMが終わり、照明が48&46グループから編成されたドリームチームのメンバーを浮かび上がらせた。

真ん中に立っているのは、生駒里奈乃木坂46)。ぼくの推しだ。

 

www.youtube.com

 

ぼくら視聴者がドリームチームが歌う楽曲、そしてそのセンターを知ったのもこの時が最初だ(楽曲に関しては、投票の途中経過からおそらく「サイレントマジョリティー」になるのではと思われてはいたが)。

 

生駒ちゃんがセンターだということを知ったときのぼく、そして同じ生駒ちゃん推しの気持ちは期待と喜びが半分、不安が半分だったのではないだろうか。

 

候補曲のひとつだった乃木坂46の「君の名は希望」は投票の結果最下位だったが、もし「希望」が選ばれていたとしたらオリジナルでセンターをつとめている生駒ちゃんがセンターになるのは至極妥当だし、ぼくら推しも期待と喜びしか抱かなかったと思う。

 

不安は「希望」以外の楽曲でセンターに選ばれたことにあった。少なくともぼくのなかでは。

48&46の人気メンバーから選ばれた中でのセンター。指原莉乃もいるし山本彩松井珠理奈も、オリジナル楽曲を歌っている欅坂46のメンバーもいる。

このメンツのなかでセンターを張るプレッシャーとそのあとアイドルファンが抱き発信するであろう感想を想像すると、生駒ちゃん推しにしてみたら手のひらで顔を覆いながら指の間からそっとTV画面をみる、そんな心境だった。

 

しかし、イントロが始まり、生駒ちゃんがカメラに向かって顔を上げた瞬間、ぼくのそんな心配は杞憂だったことを知った。

そこにいたのは、これまででいちばんカッコいい生駒ちゃんだった。

そこから先は曲の終わりまで震えと涙が止まらなかった。

曲が進むごとに生駒ちゃんのカッコよさは研ぎ澄まされ増していった。 

 

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いつのまにか、ぼくの顔はいろんな液でぐちゃぐちゃになっていた。呼吸もおかしくなっていた。

3分間足らずのスペシャルコラボが終わり、ツイッターのTLに同じ生駒ちゃん推しのかたが投稿したスクショや動画が流れてきた。その生駒ちゃんを見て、また泣いた。

やっと落ち着きを取り戻せたのは番組が終わって1時間ほど経ってからだったろうか。

 

 

いま、あの涙はどこから来たんだろうと不思議に思っている。

推しメンだけに、たしかにぼくは他のアイドルファンや乃木坂の他メンを推しているかたに比べたら生駒ちゃんについて知っていることは多い。

最近、彼女が悩みがちだったことも、「いつかサイレントマジョリティーをやってみたい」と漏らしていたことも。

それらこれまでのヲタ活の中で蓄えた生駒ちゃんへの思いが堰を切って涙になって溢れた、それも理由のひとつだろう。

 

でも、「サイレントマジョリティー」の生駒ちゃんはぼくら推しの感傷すらぶっ飛ばす凄み、カッコよさだった。

もちろん、その要因には「サイレントマジョリティー」の楽曲としての強さもあるだろうし、演出が素晴らしかったのもあるだろう(特に照明が素晴らしかった)。

 

 

以前このブログで「制服のマネキン」の生駒ちゃんについて、以下のように書いたことがある。

PV冒頭、メンバーたちが作った花道中央から生田絵梨花星野みなみを露払いに大トリで登場する生駒ちゃん。

一見、侍女を従える「王女」のようだけど、ぼくの目にはマネキンたちの中から選ばれた大事な「生け贄」のように見える。映画『ブレードランナー』におけるレプリカント・ロイや漫画『火の鳥 復活編』で月面での自決を選んだロビタと同様、感情を持ってしまった悲しくも神聖で崇高な生け贄だ。 

bonnieidol.hatenablog.com

 

 

「マネキン」同様、いやそれ以上に「サイレントマジョリティー」の生駒ちゃんはすべてに覚悟を決めた者だけが纏える美しさ、神々しさに包まれていた。

 

ツイッターをエゴサすると、「他のグループに家族は興味を示さなかったけど、生駒ちゃんには家族全員がテレビに釘付けだった」というツイートを発見したが、そのかたの家族は生駒ちゃんというより、彼女のなかにある「覚悟」に目を奪われたのではないだろうか。

「生け贄」という言葉を使ってぼくが伝えかったのはその覚悟だ。

 

そして、あのときの生駒ちゃんに覚えた感動にもっとも近いものを挙げるとしたら、夏祭りに響く太鼓の音や、何百年もその地に根を張ってきた大樹に気持ちが揺さぶられるような感覚、なのかもしれない。

その感情をなんて説明したらいいか分からないけど、大昔の時代から確実に存在する、人々の思いの源泉のような存在にあのときの生駒ちゃんはなっていた。

 

答えはずっと奥のほう 心のずっと奥の方

 

「情熱の薔薇」同様、あの涙はきっとその辺からやってきたのではないだろうか。

 

 

 

いろいろ書いてきたけど最後に。

生駒ちゃんを知ることができて本当によかった。

生駒ちゃん、ぼくの心は台風が去ったあとの空のように澄んでいます。