生駒里奈の覚悟〜制服のマネキンは窓際3列目の席で夢を見る〜
背中に震えが走るほどカッコいい。
音楽や映画、本、演芸などのエンタメに触れていると、稀にそんな場面や一節、瞬間に出くわす。ぼくにとってはそれがザ・フーのキース・ムーンが替えのスティックを何本も使って「マイ・ジェネレーション」を叩きまくっているライブ映像や、映画『七人の侍』で戦災した赤子を抱きながら「こいつは俺だ! 俺もこの通りだったんだ...」と慟哭する三船敏郎、映画『狂い咲きサンダーロード』でラストシーンに仁さんが見せる笑顔、小説『魔界転生』で十兵衛が魔界衆との戦いを決断する一言なんかがそれにあたる。
そんなシビレをぼくは乃木坂46が音楽番組で演った「制服のマネキン」のパフォーマンスにも感じた。
正確に言うと、乃木坂46というよりはセンターに立っていた生駒里奈にヤラレてしまったのである。
それまでぼくにとって生駒ちゃんというのは、メジャーアイドルグループのセンターで頑張っている同郷(秋田)出身の女のコにしか過ぎなかったのだけど、その動画を見てからは、同郷が生んだ芸能界史上稀に見るアクターに認識を改めた。
つーか、もう同郷とか抜きにして、このコのことは今後もずっと見ていよう。そう決めた。
それがこの動画である。
忙しい人のためにいくつかスクショで撮った画像を貼っておく。
なんだ、この表情と表現力は? と岡本太郎ばりに自問せずにはいられないほど神がかった生駒ちゃんのパフォーマンス。
他メンやそのファンの方には申し訳ないけど、「制服のマネキン」に限っては生駒ちゃんの独壇場。生駒里奈 with 乃木坂46といった風情ですらある。
「制服のマネキン」のMVやライブでのパフォーマンスを乃木坂メンバーたちは無表情に近い演技で行っている。
もちろん、曲のコンセプトである「感情を隠したマネキン」を表現しているのだろうけど、メンバー全員が無表情を徹底しているわけではなく、ライブによっては一瞬アイドルスマイルを入れたり、または切なさや憤りのような表情を浮かべるメンバーも見られる。
そんな中、生駒ちゃんだけは徹底して終始無表情。
まるで、実際に制服を着たマネキンが生きている世界があって、そこから抜け出してきたかのような存在感。
そう、他メンのパフォーマンスは歌詞の世界観を表現しているに止まっているが、生駒ちゃんだけは演技にすら見えないのだ。
そして、彼女の表情から読み取れるのは、「僕にまかせろ」とすべてを受け入れる「覚悟」だけだ。
PV冒頭、メンバーたちが作った花道中央から生田絵梨花、星野みなみを露払いに大トリで登場する生駒ちゃん。
一見、侍女を従える「王女」のようだけど、ぼくの目にはマネキンたちの中から選ばれた大事な「生け贄」のように見える。映画『ブレードランナー』におけるレプリカント・ロイや漫画『火の鳥 復活編』で月面での自決を選んだロビタと同様、感情を持ってしまった悲しくも神聖で崇高な生け贄だ。
その犠牲になる覚悟を決めた目つきにぼくはゾクゾクするような色気を感じるのだろう。
冒頭紹介した音楽番組の最後に見せた、アイドル生駒里奈の最高の表情。