ザ・イエローモンキー復活

1月8日、イエローモンキーが復活した。

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2001年1月8日の活動休止から15年ぶり、解散発表から半年後の2004年12月26日、東京ドーム『メカラウロコ・15』で「JAM」を演奏してから12年ぶりの再集結である。

 

ぼくがイエローモンキーを知ったのは、たしか中2年の冬だったと思う。

ちょうど『TRIAD YEARS act1』というベスト盤と最高傑作『SICKS』が発売されたばかりで、2コ上の兄キ経由で聴き始め、ハマっていった。過去のアルバムはコンプでそろえ、吉井和哉のエッセイ本『おセンチ日記』も貪るように読んだ。

ぼく含めた多くのロックファンがイエローモンキーに魅了されたのは、シンガーシンガーソングライター吉井和哉の紡ぐ言葉によるところが大きかったと思う。

グラムロック期からのきらびやかで妖しい歌は『SICKS』の頃になると日常にある小さな幸せや狂気がメインテーマになり、そこにキレにキレまくった吉井和哉独特の言葉づかいが足されることでさらに中毒性を増していった。

♪ひとりきりもいいだろう ふたりだけもいいだろう

猫もつれて行こう 好きにやればいい

母親の運転する車に乗りながらカーステで『楽園』を聴いていると、母親が唐突に「いま猫って言った?」と訊いてきたことがあった。つまり、イエローモンキーどころかロック全般に興味がないおばさんすら振り向かせる力が吉井和哉の書く詞にはあったのだ。

 

中3のときに席が隣同士になったのを機に、その後片想いを引きずることになるYさんもまたイエローモンキーが好きだった。

好きで好きでたまらなかったYさんと同じ高校に行きたいからと身の丈に合わない進学校を受験して玉砕した頃発売されたのが、7枚目のアルバム『PUNCH DRUNKARD』。人生初の失敗と同時期だったこともあり、このアルバムをじっくり聴けるようになったのはそれからしばらく経ってからだった。

 

2度目の高校受験を目指していた予備校時代にはファンクラブ「Petticoat Lane」に入った。その年、年間113本のライブツアーを敢行したイエローモンキーは予備校のあった秋田市でもライブをしたのだけれど、お金がなかったからかぼくは行ってない。ちなみに、ボブ・ディランもその年秋田でライブを行った。

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2001年はぼくにとってふたつの別れがあった。ぼくより一足先に高校を卒業するYさんと活動休止するイエローモンキーだ。

エッセイ「高校受験スベったら(後編の中)」(今朝はボニー・バック 第33回 | 季刊レポ)の中で、ぼくは次のように振り返っている。

ここで、時間はぼくの高2の三学期、2001年3月までぶっ飛ぶ。ぼくにはどうしても決着をつけなければならない相手がいた。そう、ぼくより一足先に卒業していくYさんである。告白しようなんて気はさらさらない。ただ、一言「卒業おめでとう」と伝えよう。その一心で、卒業式後、ぼくは校門前でYさんが通るのを待っていた。
1時間も待っただろうか。ぼくはYさんに会うのを諦め、高校と駅前を巡回するバスに乗り込んだ。車内は卒業生とおぼしき生徒でいっぱいだった。なんとか車内後方に体を滑り込ませて出発するのを待っていると、Yさんが数人の友達共に乗り込んできた。
Yさーん。
車内は騒がしかったが、ぼくの声にYさんは気づいた。車内前方からこっちに向って手を振っている。
突然の登場に照れくさくなったぼくは千円札をひらひらさせて「これ、両替機で両替してほしいんだけど」と叫んだ。
「混んでるから無理だよお」とYさん。
会話はそれっきりだった。友達と共に駅前のビルに消えていくYさんの姿を見送った後、ぼくもバスを降りた。MDウォークマンのイヤホンからは、イエローモンキーがぼくの気持ちを代弁するように「卒業おめでとう」と歌っていた。
 
「プライマル。」THE YELLOW MONKEY

VERY GOODだいぶイケそうだ
旅だったら消せそうじゃん
今度は何を歌おうか
卒業おめでとう ブラブラブラ
手を振った君がなんか大人になってしまうんだ
さようならきっと好きだった
ブラブラブラ…

 

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活動休止から3年後の2004年7月、イエローモンキーはついに解散する。

ぼくは22歳で、初めてできた8歳上の彼女と半同棲のような生活を送っていた。

彼女が東京で、東京が彼女で、オレのすべては彼女だったあの頃ーー(みうらじゅん)。

夢を求めて上京して来たはずだったのに、いつのまにか生活するためだけに東京で暮らしていることに深く悩んでいた。

「何かを変えるためには彼女と別れるべきなのではないだろうか」

 

2004年も押し迫った12月26日。2001年から活動休止に入っていたザ・イエローモンキーが東京ドームで解散イベントを行うことになっていた。ぼくは中学生の頃にはファンクラブに入っていたほどのイエモンファンだったが、ライブには一度も行ったことはなかった。その日はメンバーが登場する。そんな噂が流れていた。
その頃にはすでにぼくと美香ちゃんの間には別れのグルーヴが流れていたが、ぼくは最初で最後のイエモンのイベントに彼女を誘った。
当日。チケットを忘れたことに気づいたのは西武新宿線の電車の中だった。イベント終了時間まで1時間を切っていた。たぶん、チケットは美香ちゃんのアパートにあると思うが、これから戻っても間に合わないだろう。
「諦めよう」そう言うぼくを、「会場に行ったら当日券があるかもしれないじゃん。行くだけ行ってみようよ」と励ます美香ちゃん。果たして、当日券は売れ残っていた。
 
始めての東京ドーム。僕らの席は1塁側2階席。客席は思っていたよりもガラガラで、ひどく音の割れたスピーカーからイエモンのナンバーがかかっていた。
イベント終了まで30分を切った頃だろうか。場内が暗転し、花道からメンバーが現れた。中央のステージまで移動し、それぞれの楽器を手にする4人。何を演るんだろう。
「JAM」のイントロが流れた瞬間、ドームに大歓声が沸き上がった。
だいぶ後になって刊行された吉井和哉の語り下ろし自伝「失われた愛を求めて」によれば、この日、吉井は「JAM」の出来次第では、「イエローモンキーは解散しません!」と宣言する可能性もあったそうだ。しかし、演奏はぼくの目、耳にも感傷以外の印象を与えるものではなく、吉井の口からその発言が出ることはなかった。
イベント終了後、物販売場に並ぶ長蛇の列を見ながら、ぼくは美香ちゃんに「今日は美香ちゃんにイエモンを見せてもらったようなものだな。ありがとう」と礼を言った。しかし、ぼくの口から「ぼくら二人は別れません!」という言葉が出ることはなかった。

「LOST〜川越⇄井荻半同棲物語④」(今朝はボニー・バック 第24回 | 季刊レポ)より

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「数えきれないほどの希望と絶望と興奮をありがとう」

吉井和哉は活動休止前最後のライブでこう言い放った。

ぼくらファンにとっても、希望と絶望と興奮の傍らにはいつもイエローモンキーの曲が流れていた。

復活ライブ、行きたいと思ってる。