【雑誌・Webメディア関係各位】公開企画書「路線バスアナウンス広告の旅」
○今朝はボニー・バック 第40回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅①」(関東バス・西03系統「上石神井駅発大泉学園南口行き」)
→http://www.repo-zine.com/archives/12337
○今朝はボニー・バック 第42回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅②」(関東バス・西01/02系統「上石神井発西荻窪駅北口行き」)
→http://www.repo-zine.com/archives/12444
○今朝はボニー・バック 第43回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅③」(関東バス・中36系統「吉祥寺駅発中野駅行き」前半)
→http://www.repo-zine.com/archives/12489
○今朝はボニー・バック 第44回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅④」(関東バス・中36系統「吉祥寺駅発中野駅行き」後半)
→http://www.repo-zine.com/archives/12528
○今朝はボニー・バック 第45回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅⑤」(京王バス・鷹64系統「久我山駅発三鷹駅南口行き」)
→http://www.repo-zine.com/archives/12561
○今朝はボニー・バック 第46回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅⑥」(関東バス・荻07系統「練馬駅発荻窪駅行き」前半)
→http://www.repo-zine.com/archives/12606
○今朝はボニー・バック 第47回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅⑦」(関東バス・荻07系統「練馬駅発荻窪駅行き」後半)
→http://www.repo-zine.com/archives/12650
○今朝はボニー・バック 第48回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅⑧」(関東バス・吉53系統「吉祥寺駅発柳沢駅行き」
→http://www.repo-zine.com/archives/12709
○今朝はボニー・バック 第49回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅⑨」(資料編)
→http://www.repo-zine.com/archives/12780
○今朝はボニー・バック 第50回「ローカル路線バス アナウンス広告巡りの旅⑩」(羽後交通・横手バスターミナル発横手病院、横手高校経由上台行き」)
→http://www.repo-zine.com/archives/12792
連載後も路線バスのアナウンス広告の音源を採取し続け、サウンドクラウドに上げたり、
実際に広告を出稿しているお店を訪
類似企画としては、テレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」、日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」、NHKの「たんけんぼくのまち」などのニュアンスが入っておりますが、知人のバス好きのかたから
「これは『バスマガジン』や『BUSLife』など専門誌でも特集されたことはないと思われるジャンル。強いて言えばフジテレビ『リアルスコープ』の路線バス回くらいでしょうか」
というお言葉をいただき、独自性も兼ねていると自負しております。
誌面の製作は、アナウンス広告採取、下見を住ませたのち、後日、取材するお店のアポ入れをし、取材・撮影、原稿執筆、入稿の流れになるかと思います。
原稿料や取材費他経費などはご連絡、打ち合わせ時に対応させていただきます。まずはご気軽にご連絡、ご相談いただけたらと思います。
「センター生駒里奈論とイコマジョが見せた夢」(『アイドルと文学 vol.1』掲載)
11月23日(水)、第24回文学フリマ東京@東京流通センターで販売された小冊子『アイドルと文学 vol.1』に、2016年7月18日(月・祝)放送の『2016 FNSうたの夏まつり』で48&46ドリームチームが披露した「サイレントマジョリティー」についての文章を寄稿しました。
編集部の許可を得たので、転載します。
『アイドルと文学 vol.1』
ドラマ『高校教師』(1993年版)レビュー「第2話 嘆きの天使」
羽村先生の婚約者の浮気現場を目撃したあと、土砂降りのなか羽村先生の自宅前でいっぱい待ってた繭。
一転、次の日、羽村先生から受け取ったパン代のなかから自分の生まれた年と同じ「昭和50年」製の10円玉を見つけ、この表情。
「次第に彼女に振り回されている自分を感じていた。
ただ、...そう。まだこの頃はため息をつけばそれで消えるその程度のことだったけれど」
冒頭のナレーションからも分かるように、第2話の主役は繭に、まるで洗濯機の中で回るTシャツのように振り回される羽村先生だ。
その色が赤か青か黒かはまだ分からないけど、二宮繭という少女のパーソナルカラーが過剰なほどビビッドなことだけは間違いない。
そして、洗濯物が色映りするかのように、彼女の回りにいるものーーバスケ部のキャプテン、繭の父、羽村先生の婚約者、藤村先生、たちも奇妙に欲望を色めきだたせ羽村先生に向かってゆく。
バスケ部の顧問になった羽村先生。彼を追って繭も入部し、ふたりの関係に嫉妬したバスケ部のキャプテンが腕立て100回という試練を与える。
JAC出身の真田広之なら指立てふせ100万回だって容易いはずだが、ドラマでは63回でギブアップ。
浮気現場を目撃された繭との直接対決の場を設ける羽村先生の婚約者。
「隆夫さんってね、悪いひとじゃもちろんないんだけど、正直言ってとっても退屈なの。ペンギンがどうだとか、原始のスープがなんだとか、そんな話聞いていて楽しいと思う? セックスもとっても幼稚なの」
まったく頭の痛い話だが、ぼくらの無念を晴らすかのように繭は婚約者をエスカレーターから突き落とすのだった...。
愛するひとの思いを汚され、踏みにじられたことがよっぽど悔しかったのだろう。でも、突き落とすことはないのではないかとも思った。
漫画『ザ・ワールド・イズ・マイン』のモンちゃんのように、彼女は明らかにひとが備えている道徳や倫理感というものが欠如しているのではないだろうか。
羽村先生が腕立てふせをやらされ、繭が婚約者に怪我を負わせたその日の夜、繭は羽村先生に電話する。
テレカが切れ、最後のーーあの10円玉だ!、を投入して繭がリクエストしたのは、婚約者が「退屈」と否定したペンギンの話...。
伏線の張り方、回収の仕方がなんとも見事だ。
ビートたけしが初めてひとり暮らししたとき、「どうせあのこは家賃なんて払えなくなるに決まってるんですから」と母親がたけしに黙って大家さんに家賃を払っていたのと同様、やはり繭の羽村先生に向ける愛情は母性のそれだ。
「あの時の僕には、失う物がたくさんあるような気がし、受話器越しの彼女の声が震えていたことに、まだ気づいてはやれなかった」
エンディングのナレーション通り、どんなに回りにもみくちゃにされても、羽村先生の希望だけは処女のパンティーのように淡く、おもしろみがなく、清潔だ。
しかし、それも繭との交わりが色濃くなるにつれて、儚くほつれ破れていくことになるのだが...。
ドラマ『高校教師』(1993年版)レビュー「第1話 禁断の愛と知らずに」
「心配いらないよ。私が全部守ってあげるよ。守ってあげる!」
登校ラッシュの校庭で、生徒から愛の告白らしき宣言を受ける新任教師・羽村隆夫(真田広之)。
おそらく、出会いから30分も経っていないだろう。
期限切れの定期を駅係員に問いつめられていたところを助け、その理由(更新し忘れていた)を信じただけだ。
戸惑うし、面食らって当然だ。
『高校教師』第1話は、そんなヒロインのエキセントリックな面が全開に現れている回だ。
同僚の宮原教師から仕事場となる生物室に案内されている羽村先生。
「生徒との関係にはくれぐれも気をつけるように」と釘を刺されていると、教卓の中に靴を脱がし、靴下を脱がし、ズボンのファスナーを下ろし、即尺...ではなく、足の甲にネコの落描きをする者がおるではないか。
朝のあの生徒だ!
宮原先生をやり過ごし冷や汗をかいている横で、笑顔で自己紹介をする少女。
「2年B組、二宮繭。出席番号22。O型。カニ座!」
同日の放課後。
教室で、藤村智樹先生(京本政樹)に贈る編み物をしている相沢直子(持田真樹)と、先ほどのネコを自分の足の甲にも描いている繭。
そこへ上級生3人組が乱入。標的は繭のようだ。
上級生たちは朝の羽村とのやり取りにいちゃもんをつけ、あまつさえ繭の足のネコの絵を見るや「何コレ? バカじゃない、こいつ」と足をぐりぐり。
繭は直子が使っていた裁縫ハサミを取り、女囚さそりのような目をしながら上級生の足を上履きごと斬りつける。
(たぶん)次の日の放課後。
コンビニで買い物をしている羽村先生のカゴのなかにこっそりブルボン「エリーゼ」を入れるところまではよかったが、転倒したところで気づかれてしまい、尾行は失敗。
このときの、心配しながら小走りで向かってくる羽村先生を見上げる桜井幸子の表情が最高!
紹介した繭のエピソードはぼくらにはエキセントリックに映るけど、普通ではない愛情を注がれて育てられた彼女にしてみれば当たり前の愛の表現なのだろう。
平凡な生活という殻に閉じ困ろうとする主人公と、そんな彼に運命のブレイクスルーを見たヒロイン。
『高校教師』第1話は対照的な願望を抱くふたりの交差点だ。
年越しにみる映画②文部省選定『一杯のかけそば』
一杯のかけそばを注文する母子三人。同情したのか、余らせてもしょうがないと思ったのか、丼に一玉半のそばを入れてやる店主(渡瀬恒彦)。
一杯のかけそばを気を使いあいながら食べる三人。
そこへそば屋が飼っている犬が物欲しそうにやってくる。
女将(市毛良枝)に許可を取り、犬にそばを分け与える次男。
「せっかくつくってやったそばを犬に食わせるんじゃねえ!」
と思ったし、
「犬を店の中に入れるんじゃねえ!」
とも思った。
そんな視聴者をよそに、「アンタ、タロウ(犬の名前)がそばを食べたよ」となぜか感動している店主と女将。
3年目の大晦日、店側がすっかり常連となった親子のために以前と変わらぬ値段を書いたお品書きを用意しているのにもたまげた。
つまり、この『一杯のかけそば』はそういう物語だ。
どっかのラーメン屋の「ヤサイマシマシニンニク」のような食っても食っても麺に到達しない善意のトッピング。
そばの持つ粋さがまるでない。
大晦日くらいは誰の善意にすがらず、財布の中身を気にせず、天ぷらそばを思いっきりすすりたい。
そのためにも一年間頑張ってはたらこう。そう思わせてくれる作品だ。
それにしても、店主は次男坊に交通事故で亡くした息子の面影を見たのか、息子が使っていた野球のグローブをプレゼントするのだが、この次男坊、左利きなのである。
「でもいいよ。僕いま、スイッチヒッターの練習をしてるんだ」
つくづくぶん殴りたくなるガキである。
『一杯のかけそば』(1992年)
監督:西河克己、脚本:永井愛、原作:栗良平/99分
出演:渡瀬恒彦/泉ピン子/市毛良枝/鶴見辰吾/柳沢慎吾/奥村公延/四方堂亘/レオナルド熊/池波志乃/金沢碧/可愛かずみ/国生さゆり/玉置宏
〜あらすじ〜
昭和47年頃の大晦日の夜、札幌・時計台横丁に暖簾を出すそば屋「北海亭」。閉店間際、「かけそば一杯なのですが...」と小さな男の二人を連れた母親の親子が来店する。その親子は翌年、翌々年の大晦日にも姿を現し、一杯のかけそばを注文する。売れてない頃のさまぁ〜ず三村、レオナルド熊、可愛かずみ、という今では貴重な面々が出演している。
年越しにみる映画①萩原健一主演『渋滞』
事故後の原発のように四六時中ぷすぷすと毛穴から不満を発散させている男、ショーケン。
年の瀬、久しぶりの家族そろっての帰省であっても当然、その道中の陽気なこと! とはならない。
渋滞にハマって身動きとれない車内。その運転席にはショーケン。想像しただけで胃潰瘍になりそうなシチュエーションだ。
ぼくが息子なら家で爆笑ヒットパレードを見る正月を選ぶ。
なんせ、まだ川崎の時点で
「まるで俺が交通費ケチって車にしたような言い方だからさ」「この渋滞は俺のせいかよ!」
とキレかかっているのである。
時折見せる「ちきしょぅ」の発音がエグい。
旅館がとれずに車中泊、ナビに不慣れな妻に八つ当たりしているところをあわやトラックと正面衝突、ネズミとり、雪の中を居眠り運転しあわやの大惨事、息子の急病...。
と、まるでショーケンに油を注ぐように数々のトラップが待ち構えている帰省の旅。
そんななか、ショーケンに振り回されながらもしっかりと自分の意思を貫き、家族団らんを保とうとする奥さん役の黒木瞳がイイ。
子供が二人もいる奥さん役ながら、イイとこの女子大生のようなファッションもかわいいし、ケンカのあと、ショーケンと旅館の階段で秘め始めしているときにロングスカートから突き出た生足は『失楽園』なんかよりもずっとエロい。
黒木瞳という女優を見直した一本となった。
テレビに映し出された帰省ラッシュ、Uターンラッシュの様子を「あや〜、ご苦労様だこと」と言いながら楽しむのは故郷である田舎に住むひとの特権である。
この映画のショーケンを見たあとだと誰しもその特権を味わうことができるが、それ以上に「今年の正月は田舎に帰ろうかな」と思わせてくれる、そんな作品である。
『渋滞』(1991年)
出演:萩原健一/黒木瞳/宝田絢子/湯澤真吾/岡田英次/東恵美子/清水美砂/緒形幹太/中村嘉葎雄/犬塚弘/浜村純/小林亜星/かたせ梨乃
〜あらすじ〜
家電量販店に勤める林蔵(萩原健一)は正月休みに家族4人で5年ぶりの帰省を計画。旅費を浮かせるため、自宅のある千葉県浦安から故郷の瀬戸内海に浮かぶ真鍋島までマイカーでの移動を選ぶ。12月30日の早朝に出発したらその日の夜には到着すると思っていたが、高速の入口からすでに帰省ラッシュにハマり...。
渡瀬恒彦〜日本映画界最強の鍋奉行〜
秋分の日を過ぎ、スーパーにも鍋コーナーがぼちぼち立ち始めてきた今日この頃、日本映画界が誇る鍋奉行、渡瀬恒彦の魅力について紹介したい。
渡瀬恒彦といえば役者としての魅力は言わずもがなだが、荒くれ者や腕っ節自慢の役者だらけだった1970年代東映にあって“最強”との呼び声高いケンカ師である。
なんせ、
在学中は空手道部に籍を置き、段位は弐段。
であり、
東映のやくざ映画やアクション映画などに出演した際に親交を深めた志賀勝、川谷拓三、片桐竜次、野口貴史、岩尾正隆、小林稔侍らが結成した「ピラニア軍団」の発起人となったことでも知られている。
なのである。(出典:渡瀬恒彦 - Wikipedia)
また、その命知らずなスタントアクションについて、映画評論家の町山智浩さんと春日太一さんはTBSラジオ『たまむすび』で次のように紹介していた。
町山智浩「アクションシーン、一切、スタントマンを使わないんです」
赤江珠緒「へぇ~」
春日太一「バスジャックの映画があるんですけど、『狂った野獣』っていう。その時は、バスにオートバイで並走して、オートバイの後部座席から、バスの窓に乗り移るんです」
町山智浩「オートバイからバスに乗り移るのを本人がやってるんです」
春日太一「猛スピードで走ってるんですよ。それを1カットでやってるんです」
山里亮太「えぇ?!」
春日太一「さらに、そのバスを自ら運転して、横転までさせるんです」
町山智浩「バスでパトカーを何十台も轢き潰して、その後にバスがクラッシュするんです。ずっと渡瀬恒彦が運転席にいるんです。もうどうかしてる人なんです」
春日太一「それで『渡瀬さん、スターなんだからあんまりそういうことやっちゃダメだよ』って言われたら、『俺にはこれしかないんだよ』って言って。当時、まだ演技力に自信が無かった頃なんで」
町山智浩「『とにかく、俺は体を張れば良いんだ』って思ってたんですよ」
引用:町山智浩×春日太一「俳優界の最強は渡瀬恒彦」 | 世界は数字で出来ている
まさに実力と特攻精神に裏打ちされた本物のケンカ師、渡瀬恒彦がなぜ日本映画界最高の鍋奉行なのか?
そんな疑問を抱いているかたに向けて、渡瀬恒彦が「有田俊夫」役で出演している1973年『仁義なき戦い』での1コマを紹介したい。
渡瀬恒彦扮する有田は物語中盤、山守組分裂のキーマンとして登場する。
〜あらすじ〜
広能昌三(菅原文太)、若杉寛(梅宮辰夫)らの身を挺したはたらきによって土井組を壊滅、呉の闇社会を牛耳ることに成功した山守組だったが、組の運営を巡って若頭の坂井鉄也(松方弘樹)と幹部・新開宇一(三上真一郎)が対立。その争点はヒロポンの売買によって頭角を現しはじめた新開の舎弟・有田一派に向けられる。有田はかつて坂井が絵図を描いて選挙妨害を行った市会議員・金丸を抱き込み、金丸と兄貴分・新開との間を仲介。山守組の乗っ取りを共謀する。
以下は金丸と新開、有田が料亭で鍋を囲みながら謀議を図っている場面である。
(有田)市会議員の金丸の盃に酌をする。
金丸「わしゃのう、常々有田にも言うとるんじゃが、男が世に立つ以上ひとの風下に立ったらいけん」
新開「へぇ」
(有田)箸を取り、取り皿の中の鍋の具を口に運んでいく。
金丸、新開に盃を渡し中居が酒を注ぐ。
(有田)金丸、新開、中居の交差する腕の隙間を縫うように、鍋の中を物色し具を自分の取り皿に入れていく。
金丸「一度舐められたら終生取り返しがつかんのがこの世間いうもんよ、のぅ」
新開「へぇ」
(有田)金丸の言葉への反応を探るように新開を見つめる。
金丸「ましてや侠客渡世ならなおさらじゃ」
(有田)鍋を物色しながら、金丸のタバコを持つ動作に気付き、ジッポで火を点けてあげる。
金丸「時には命を張ってでもいうぐらいの性根がなけにゃ親分と言われるような男にはなれんわね」
(有田)パチンとジッポの蓋を下ろしながら新開を見つめる。
金丸「のう、新開さん。あんたも男になりんさい」
(有田)再び鍋の中を物色しはじめる。
カメラ位置が金丸の背中越しに移動。
金丸「わしがなんぼでも応援してあげるけん」
金丸が新開の盃に酒を注ぐ。
金丸「それにはよ、山守組の跡目に立つような意志がなけにゃのう」
新開、有田を一瞬見たあと、金丸の言葉に身を乗り出しそうになる。
(有田)ふたりのやり取りを我関せずとばかり鍋の具を口に運ぶ。
金丸「むほっ、山守ごときは相手にせんでもええがのう。問題は坂井じゃ」
(有田)手酌で酒を注ぎ、飲み干す。
金丸「あの男、早いうちに叩いとかにゃあんたも有田も男にゃなりせんど」
新開「へ。そらぁようわかっちょるんですが」
金丸「むほほ。あんたがその気になっとるんなららわしがひとつええ贈りもんしよ」
うしろを振り返り、パンパンと手を叩く。
カメラ位置が新開の背中越しに移動。
金丸のうしろの襖が開き、土井組の残党三人が姿を現す。
(有田)腰を上げそうになる新開の肩を抑え制す。
金丸「はっはははははは。ちぃとばかり座興が過ぎたかのぅ」
(有田)事は済んだとばかりに箸を置き、爪楊枝をしごきだす。
金丸「これはしかし酔狂じゃないんだ。あんたの力でよ、土井組を再建させちゃったらあんたは押しも押されもせん大親分じゃ」
いかがだろうか。「最高の鍋奉行と言っておきながら鍋の世話なんか全然してねえぢゃねーか!」と思われたかもしれない。
ぼくもそう思った。映画を見直すまで渡瀬恒彦(有田)はもっと同席しているふたりに対して甲斐甲斐しく取り皿に鍋をよそってやったり、酌をしてあげたり世話を焼いていたと記憶していたのだ。
それがどうだ。一言も台詞を発せず、眉間にシワを寄せてへの字口をしたまんま、ひとり黙々と鍋を食ってる。
ぼくが渡瀬恒彦(有田)を鍋奉行と勘違いした理由。
それは彼の視線だ。このシーンの間中、視線がほとんど動いていないのだ。視線の定位置は鍋、もしくは自分の取り皿で、金丸のタバコに気づいたときも視界の中の出来事として対応している。タバコに火を点けてあげる瞬間も視線はずっと己の手元だ。
始終鍋をつつく腕と視界の入るものすべてを射抜くようなの視線のせいで甲斐甲斐しく鍋の世話をしていると錯覚してしまったのだ。
このシーンで渡瀬恒彦が顔を上げ、視線を人物に向けるのはたった三度。いずれも兄貴分、新開にだ。最初の二度は金丸の言葉に新開がどう反応するか探るような視線。最後は土井組の残党に対して思わず腰を上げる新開を制する場面。
終始言葉を発せず、顔さえ上げず、ひたすら鍋をつついて第三者を決め込んでいる。それだけに兄貴分に向けたたった三度の視線は言葉よりも深く重く刺さってくる。
それにしても、鍋を見ながら新開の様子を窺い、さらに金丸のタバコに火を点けてあげるときの渡瀬恒彦の一連の動作の見事さはどうだ。
さて。相撲の世界にちゃんこ番という言葉があるように、本来鍋の世話は下っぱがやるものである。決してお奉行様がする仕事ではない。
また、相撲の世界に詳しくはないが、ちゃんこ番の力士が鍋を見ながら上役である関取に向かって気軽に話しかけたりするとは思えない。ただひたすら先輩、上司の機嫌を窺いながら鍋に注意を払っているに違いない。
そういう意味で鍋を前にしたときの有田の姿は理想の鍋奉行といえるだろう。
渡瀬恒彦が鍋奉行をしている作品は『仁義なき戦い』だけではない。
1974年公開された『山口組外伝 九州進攻作戦』である。
役どころは九州出身のチンピラで、パチンコ屋でのイカサマ行為が発覚するやパチンコ台を破壊、店を仕切るやくざたちに囲まれてもアイスピック一本で向かって行く突破モン、古田憲一。
結局リンチにあった挙げ句川に放り投げられたところを同じ九州モンのよしみから菅原文太扮する夜桜銀次に拾われる。
その晩、文太とその奥さんである渚まゆみと一緒にすき焼きをつついている渡瀬恒彦。
『仁義なき戦い』での有田同様、ひとりがつがつと鍋を口に運んでいる渡瀬だが、ここでは手ぬぐいを頭に巻きながら文太の奥さんで身重の渚まゆみに肉をよそったりしてちゃんと鍋奉行としての仕事も行っている。
台詞は過去を訊かれぽつりぽつりと答えるところくらいしかないが、ふと見せるこぼれるような笑顔からもいい兄貴と姐さんができたよろこびが伝わってくる。
かつて渡瀬恒彦は日本一「鉄砲玉」役が似合う役者だった。
鉄砲玉役に共通しているのは、捨て犬のような境遇と一度惚れ込んだ飼い主にはとことん付き従う純な性格。
彼の鉄砲玉役は役づくりを超えた天性の素質といっても過言ではない。その根っこには彼の子分気質というより、生まれながらの宿命であり拭いきれない「弟気質」があると思う。
彼の兄は言わずと知れた俳優・渡哲也。
5年前、渡瀬恒彦は兄とTBSドラマ『帰郷』40年ぶりに共演を果たした際、役者・渡哲也についてこのように語っている。
「僕から見たら、兄貴程度の芝居しかできなかったら、とっくに消えていただろうなと。兄貴は下手ですね」
どちらも還暦を過ぎ、自らも兄に勝るとも劣らない経歴と評価を築いてきた大俳優なのにこの大人げない発言。もちろん冗談まじりだが、そのなかには本心も多分に含まれていたと思う。
ぼくにも渡瀬恒彦同様、兄がひとりいる。
弟が抱く兄への感情というのは複雑だ。
親や周りからはいくつになっても兄と比べられ、自分が歩いているレールなのに常に兄の足跡を意識してしまう。
これはぼくの話で恐縮だが、 ぼくは兄弟は兄ひとりだが、一応末っ子である。それに、家族構成は両親に兄、祖父母、ひいばあちゃんの7人家族。自分の下には飼い犬しかいないという環境が長かったせいか、いまでは兄の子どもだろうが10コ以上年の離れているバイト仲間だろうが自分より末っ子特典を得るヤツは許せない。斜め下から無理矢理潜り込んでもっとも居心地のいいポジションを得る処世術を身につけてしまった。
話を渡瀬恒彦に戻す。
兄と同じ職業、役者の道に進んだのなら弟の葛藤はなおさら深かっただろう。
渡瀬恒彦が東映にスカウトされた1969年当時といえば、兄・渡哲也は日活の看板スター俳優。
いくらスター俳優の兄を持つとはいえ、実力がすべての映画界にあっては血筋など威光はおろか逆光にはたらくことのほうが多いはずだ。
事実、目黒祐樹(松方弘樹の弟)にしろ矢吹二朗(千葉真一の弟)にしろ、残念ながら兄以上に活躍したとは言い難い。
兄の背中を振り切る。その思いこそが渡瀬恒彦をオートバイからバスに飛び移らせ、ジープの下敷きになるほど体を張らせてきた原動力だったのではないだろうか。
それは春日太一さんが紹介していた渡瀬本人の「俺にはこれしかないんだよ」という発言からも窺える。
だからこそ40年ぶりに兄弟共演を果たした際に語った「兄貴程度の芝居しかできなかったら、とっくに消えていただろう」という発言は紛れもない本心なのだ。
そして、体を張ることこそが魔物たちがうろつく映画界で弟なりに身につけた渡瀬恒彦の処世術でもありシノギ方でもあったのだと思う。
そのシノギ方が鉄砲玉として鍋奉行としてのリアリティを持たせているのだ。
競演には40年の月日が必要だったが、1995年、渡哲也、渡瀬恒彦の兄弟は阪神大震災の被災地で炊き出しを行い、被災者に手づくりの焼きそばを振る舞っている。