仁義なき戦い×幸福の黄色いハンカチ! 小説「幸福(しあわせ)の黒いランチジャー」(前編)
広島西刑務所。
大晦日前日の昼食後、雑居房202号室では、4人の受刑者たちが車座になって雑談に花を咲かせていた。
「いやぁ、食った食った。ムショのメシは不味いと聞いていたが、案外食えるもんじゃのぉ」
三日前に服役したばかりの江田省一(懲役5年)が突き出た腹をさすりながら言った。
「おうよ。味付けは少し薄味だが、その分、素材そのものの味が堪能できるしのぉ。何より、人肌とはいえ、麦飯もみそ汁も温かいってのが泣かせるじゃない」
口をとんがらせて同意したのは、槙原政吉(懲役3年)である。
「だがのぉ」
それまで一言も口を開いてなかった広能昌三(懲役7年)が、目線を落としながらぽつりと呟いた。
「どんなに冷えた飯でもいいけぇ、わしはたまには弁当が食うてみたいのう」
広能の言葉に、江田と槙原は一瞬顔を見合わせ、腹の底から肯定するように大きくうなずいた。
「わしは宮城の百姓の倅での。家族が食っていけるだけの田んぼしかない貧乏農家じゃったが、それでも米だけは腹いっぱい食えたんじゃ」
広能がぽつりぽつりと語り始めた。
わしが生まれて初めて弁当を食うたのは、たしか四つの頃じゃ。通っとった保育所で給食が出るのは3歳児まで。4歳児以上にも給食は出るんじゃが、なぜかおかずのみでの。白飯は園児が我が家から持参しなければならなかったんじゃ。まぁ、ほとんどの家が米農家じゃったし、おかずも美味かったから不満はなかったがの。
ところが、ある日、わしは魔が差したことがあってのぉ。もしかしたら腹ン中じゃ、保育所の献立に飽いていたんかもしれん。
その日の登校前、わしは朝食を食べながら、何の気なしに母親が白飯を詰めてくれた弁当箱を開いたんじゃ。そして食卓に並んでいたガッコ――ワシの田舎じゃあ漬け物のことをガッコ言うんじゃ――が入った皿から、キュウリとニンジンのガッコを弁当箱の白飯の上に詰めた。
「お昼に持って来ていいのは白いご飯のみ。おかずは一切禁止」
この規則を知らんわけじゃなかったが、本当に魔が差したとしか言えん。それに、唐揚げや卵焼き、ちくわにキュウリを入れたのなんかが詰め込まれた親父の弁当箱に憧れていたんかもしれんのぉ。
とにかく、わしは家族の誰にも内緒でガッコが入った弁当箱を持ってガッコウ、いや、保育所に向かったんじゃ。
「ほぉ。生まれて初めてのおかず入り弁当というわけじゃの。そりゃ堪えられんわい」
広能の独白に引き込まれたのか、江田が身を乗り出してきた。槙原も、
「そ、それで、どうじゃった。その弁当の味は」とツバを飛ばしながら広能に続きを促す。
「旨かった…」
あの時の味を噛み締めるかのように広能がしみじみ呟いた。
「待ちに待った昼ご飯になると、わしは給食のおかずが配膳されるのを待ちきれずにアルマイトの弁当箱を開けた。びっしり詰め込まれた銀シャリに湯気が落ちてキラキラ光っている。そこまではいつもと同じだが、その隅にはキュウリとニンジンのガッコがそれぞれ二切れずつ。毎日家で食っているガッコがこれほど旨そうに見えたことはなかったのう。だが、貴重なおかずを後先考えず食うわけにはいかない。それに、わしの田舎のガッコは一般的なぬか漬けなんじゃが、関東や関西の漬け物よりもかなり塩気が濃くての、一口目で食うのは幼児にはキツい。おかずというよりお茶受けに最適なんじゃ。そう考えたわしは、ガッコを箸でつまみあげ、弁当の蓋の上にどかしたんじゃ。さっきまでガッコが載っていた銀シャリの位置だけ、キュウリ色とニンジン色にほんのり色移りしているじゃないの」
ごくっ。
房の中にツバを飲み込む音が響いた。むろん、江田と槙原が発したものである。
広能は見えない箸を持ちながら先を続ける。
「わしはガッコが色移りした一帯を箸で摘んで、口の中に放り込んだ。次の瞬間、口の中には、冷えた分、甘味が立った銀シャリの味とキュウリ、ニンジンの香り、ぬかの旨味にいっせいに広がった。あれほど旨い銀シャリはそれ以来食うたことがないのう」
「くぅううう。ぬか漬けの旨味がたっぷり染みた銀シャリ。たまらんのぉ」先ほど、昼食を食べたばかりだというのに、江田が腹を鳴らしながら言った。
「そ、それで、次はいよいよ漬け物をそのままいったのか」槙原が続きを促すと、広能は大きく首を振った。
「いや、一口目の直後、わしのガッコ入り弁当は保母さんに見つかってのう。こっぴどく叱られた上、弁当箱ごと取り上げられたんじゃ。たしかに規則を破ったわしが悪いのは分かっとるが、別にエビフライやハンバーグを入れてきたわけじゃないじゃない。たかがキュウリとニンジンのガッコを二切れずつ持ってきただけで弁当箱取り上げるのは行き過ぎと思わん? とにかく、間尺に合わん仕事をしたのう」
広能の語りが終わると、房の中はひと時の間、静寂に包まれた。広能の話に喚起され、それぞれが記憶の中から「これまで食った最上の弁当」を探り当てているのだ。
「あの…、ちょっと自分が話してもいいですか」
それまで一言も口を挟まなかった男が静寂を破った。この男が自分から喋りだすのは珍しい。島勇作(懲役6年)は普段、それほど無口な男だった。たしか、罪状は殺人。北海道の夕張で炭坑夫をしていたが、何があったのかヤケになって酒に飲んだ日にチンピラを刺し殺してしまったとか。
「なんない、島さんも弁当話持ってるんの? 言うてみないや」広能が促した。
「自分、不器用なんで広能さんみたいに上手に話せるか分かりませんが…」
じっくりと間を置いた後、島が3人に問いかけた。
「皆さんは、ランチジャーってご存知ですか」
(後編に続く)
※この小説は映画『仁義なき戦い』『幸福の黄色いハンカチ』の設定を一部拝借しております。