『こち亀』作者・秋本治先生はランチジャー愛好家だった!
7年前の2009年2月22日に放送されたTBS『情熱大陸』で密着取材を受けていた漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者・秋本治先生。
33年間(放送当時)、一度も原稿を落とすことなく『こち亀』を連載し続けている先生の創作の源を、執筆や取材現場、家族とのプライベートの場も公開しながら追っている。
漫画の執筆現場というと、不眠不休で〆切と戦っているというイメージだが、秋本先生は自身のモットーからアシスタントにはタイムカード制を導入し、徹夜はさせず、自身も含めて食事休憩も日に二度しっかり取らせるという製作環境を与えている。
最初の食事休憩は正午で、アシスタントは気分転換も兼ねて外食する者がほとんどなのだが、秋本先生は毎日ひとりアトリエに残って愛妻弁当を食べているという。
以上のようなことを取材スタッフに説明しながら作業机の上にポンと愛妻弁当を置く先生。
なんとそれはランチジャー!
先生が使用しているランチジャーが、ぼくが愛している「タワー型」ではなく「ボックス型」だったのは少し残念だったが、ランチジャーユーザーであることには変わりはない。
なにより、蓋を開けたときのボリューム感と祭感はこれぞ男の弁当、ランチジャー。
3つ並んでいるおかず容器のうち、左上は野菜の煮物入れだろう。その右隣には玉子焼き、ウインナーが入っていることがわかる。左のおかず容器の中身は角度からイマイチ判別しかねるが、なんとなくナスの揚げ浸しような気がする。
これだけでも白飯の友としては十分な気もするが、弁当の作り手である先生の奥様はさらに白飯の上に赤紫蘇のようなゆかりのようなをふりかける用意周到ぶり。
このドキュメンタリー番組を見るまで、そのスマートな体型と穏やかなお人柄から秋本先生は少食で、きっとお昼はサンドイッチを半分だけ食べて夜に残り半分を食べているに違いないと思っていたのだが、とんだ誤解だったようだ。
先生はランチジャーいっぱいのおかずをぺろりと平らげる両さん並の鉄の胃袋だったのだ!
ザ・イエローモンキー復活
1月8日、イエローモンキーが復活した。
2001年1月8日の活動休止から15年ぶり、解散発表から半年後の2004年12月26日、東京ドーム『メカラウロコ・15』で「JAM」を演奏してから12年ぶりの再集結である。
ぼくがイエローモンキーを知ったのは、たしか中2年の冬だったと思う。
ちょうど『TRIAD YEARS act1』というベスト盤と最高傑作『SICKS』が発売されたばかりで、2コ上の兄キ経由で聴き始め、ハマっていった。過去のアルバムはコンプでそろえ、吉井和哉のエッセイ本『おセンチ日記』も貪るように読んだ。
ぼく含めた多くのロックファンがイエローモンキーに魅了されたのは、シンガーシンガーソングライター吉井和哉の紡ぐ言葉によるところが大きかったと思う。
グラムロック期からのきらびやかで妖しい歌は『SICKS』の頃になると日常にある小さな幸せや狂気がメインテーマになり、そこにキレにキレまくった吉井和哉独特の言葉づかいが足されることでさらに中毒性を増していった。
♪ひとりきりもいいだろう ふたりだけもいいだろう
猫もつれて行こう 好きにやればいい
母親の運転する車に乗りながらカーステで『楽園』を聴いていると、母親が唐突に「いま猫って言った?」と訊いてきたことがあった。つまり、イエローモンキーどころかロック全般に興味がないおばさんすら振り向かせる力が吉井和哉の書く詞にはあったのだ。
中3のときに席が隣同士になったのを機に、その後片想いを引きずることになるYさんもまたイエローモンキーが好きだった。
好きで好きでたまらなかったYさんと同じ高校に行きたいからと身の丈に合わない進学校を受験して玉砕した頃発売されたのが、7枚目のアルバム『PUNCH DRUNKARD』。人生初の失敗と同時期だったこともあり、このアルバムをじっくり聴けるようになったのはそれからしばらく経ってからだった。
2度目の高校受験を目指していた予備校時代にはファンクラブ「Petticoat Lane」に入った。その年、年間113本のライブツアーを敢行したイエローモンキーは予備校のあった秋田市でもライブをしたのだけれど、お金がなかったからかぼくは行ってない。ちなみに、ボブ・ディランもその年秋田でライブを行った。
2001年はぼくにとってふたつの別れがあった。ぼくより一足先に高校を卒業するYさんと活動休止するイエローモンキーだ。
エッセイ「高校受験スベったら(後編の中)」(今朝はボニー・バック 第33回 | 季刊レポ)の中で、ぼくは次のように振り返っている。
ここで、時間はぼくの高2の三学期、2001年3月までぶっ飛ぶ。ぼくにはどうしても決着をつけなければならない相手がいた。そう、ぼくより一足先に卒業していくYさんである。告白しようなんて気はさらさらない。ただ、一言「卒業おめでとう」と伝えよう。その一心で、卒業式後、ぼくは校門前でYさんが通るのを待っていた。
1時間も待っただろうか。ぼくはYさんに会うのを諦め、高校と駅前を巡回するバスに乗り込んだ。車内は卒業生とおぼしき生徒でいっぱいだった。なんとか車内後方に体を滑り込ませて出発するのを待っていると、Yさんが数人の友達共に乗り込んできた。
Yさーん。
車内は騒がしかったが、ぼくの声にYさんは気づいた。車内前方からこっちに向って手を振っている。
突然の登場に照れくさくなったぼくは千円札をひらひらさせて「これ、両替機で両替してほしいんだけど」と叫んだ。
「混んでるから無理だよお」とYさん。
会話はそれっきりだった。友達と共に駅前のビルに消えていくYさんの姿を見送った後、ぼくもバスを降りた。MDウォークマンのイヤホンからは、イエローモンキーがぼくの気持ちを代弁するように「卒業おめでとう」と歌っていた。
「プライマル。」THE YELLOW MONKEYVERY GOODだいぶイケそうだ
旅だったら消せそうじゃん
今度は何を歌おうか
卒業おめでとう ブラブラブラ
手を振った君がなんか大人になってしまうんだ
さようならきっと好きだった
ブラブラブラ…
活動休止から3年後の2004年7月、イエローモンキーはついに解散する。
ぼくは22歳で、初めてできた8歳上の彼女と半同棲のような生活を送っていた。
彼女が東京で、東京が彼女で、オレのすべては彼女だったあの頃ーー(みうらじゅん)。
夢を求めて上京して来たはずだったのに、いつのまにか生活するためだけに東京で暮らしていることに深く悩んでいた。
「何かを変えるためには彼女と別れるべきなのではないだろうか」
2004年も押し迫った12月26日。2001年から活動休止に入っていたザ・イエローモンキーが東京ドームで解散イベントを行うことになっていた。ぼくは中学生の頃にはファンクラブに入っていたほどのイエモンファンだったが、ライブには一度も行ったことはなかった。その日はメンバーが登場する。そんな噂が流れていた。
その頃にはすでにぼくと美香ちゃんの間には別れのグルーヴが流れていたが、ぼくは最初で最後のイエモンのイベントに彼女を誘った。
当日。チケットを忘れたことに気づいたのは西武新宿線の電車の中だった。イベント終了時間まで1時間を切っていた。たぶん、チケットは美香ちゃんのアパートにあると思うが、これから戻っても間に合わないだろう。
「諦めよう」そう言うぼくを、「会場に行ったら当日券があるかもしれないじゃん。行くだけ行ってみようよ」と励ます美香ちゃん。果たして、当日券は売れ残っていた。
始めての東京ドーム。僕らの席は1塁側2階席。客席は思っていたよりもガラガラで、ひどく音の割れたスピーカーからイエモンのナンバーがかかっていた。
イベント終了まで30分を切った頃だろうか。場内が暗転し、花道からメンバーが現れた。中央のステージまで移動し、それぞれの楽器を手にする4人。何を演るんだろう。
「JAM」のイントロが流れた瞬間、ドームに大歓声が沸き上がった。
だいぶ後になって刊行された吉井和哉の語り下ろし自伝「失われた愛を求めて」によれば、この日、吉井は「JAM」の出来次第では、「イエローモンキーは解散しません!」と宣言する可能性もあったそうだ。しかし、演奏はぼくの目、耳にも感傷以外の印象を与えるものではなく、吉井の口からその発言が出ることはなかった。
イベント終了後、物販売場に並ぶ長蛇の列を見ながら、ぼくは美香ちゃんに「今日は美香ちゃんにイエモンを見せてもらったようなものだな。ありがとう」と礼を言った。しかし、ぼくの口から「ぼくら二人は別れません!」という言葉が出ることはなかった。「LOST〜川越⇄井荻半同棲物語④」(今朝はボニー・バック 第24回 | 季刊レポ)より
「数えきれないほどの希望と絶望と興奮をありがとう」
吉井和哉は活動休止前最後のライブでこう言い放った。
ぼくらファンにとっても、希望と絶望と興奮の傍らにはいつもイエローモンキーの曲が流れていた。
復活ライブ、行きたいと思ってる。
12/19発売『裏ネタJACK 2016年2月号』に「代役サービスに潜入!泥沼離婚劇を解決せよ」を書いています
10/26発売「FINAL BOX2015年12月号」に記事書きました
映画「桐島、部活やめるってよ」を乃木坂メンバーに置き換えてみた
↓
↓
↓
↓
↓
↓
配役の理由、作品の説明はあとで書きます。
10/19発売「裏ネタJACK2015年12月号」に体験談「旨い話には気をつけろ!」を書きました
10月19日発売の隔月誌「裏ネタJACK2015年12月号」(ダイアプレス)に、体験談「旨い話には気をつけろ!ぼくはこうして騙されかけた」を書いています。
代行業のアルバイト登録をしたら怪しい荷物が自宅に送られて来て...、新聞朝刊を3ヶ月600円で購読した話についてです。
よろしければ。
裏ネタJACK2015年10月号
935円+税
http://www.amazon.co.jp/裏ネタJACK-ジャック-2015年-12-月号/dp/B01494YJ2W
家にエアドールakiちゃんがやって来た
10月21日、Amazonから注文していたエアドールが届いた。
ぼくが購入したのは人気エアドールシリーズ「LOVE BODY」のaki Type-B(2268円)。他にもこのシリーズには色んなコがいるが、ドールのポージングや耐久性(商品レビューを参考した)を考えてakiちゃんを選択。
ちなみにスリーサイズは、B76、W56、H88らしい。
「LOVE BODY」というのはラブドールの中では最も安価で、クオリティ的に低いビニール製である。しかも肌の表面にはなんの加工もされてないので透明なビニールのまま。いくら空気を膨らませて女子の体型にしたところで劣情をもよおす対象にはならない。
そこで大事なのが、ドールに身につけさせるオプション品である。便所の落書きだって額装することでアートになるように、無機質なビニール人形だってトッピング次第では十分エロくなるというわけだ。
というわけでぼくがドールと一緒に購入したのが、aki専用スクール水着(2041円)とドールウィッグ(2268円)の2点。ドールウィッグはakiではなく、同シリーズのkumi専用らしいが、ぼくは無類のショートカット好きなのでイチカバチかに賭けてみた。
ドールに空気を入れ、スク水を着せ、ウィッグを付けて、完成したのがこちら。
狙いは大当たりで、スクール水着を着せることで体のラインを引き立たせることに成功。ウィッグもピッタリだった。
バックショットがまた良く、思わず「ええケツしてまんなー」と青木雄二的感想をもらしてしまう。
「LOVE BODY」シリーズにはウィッグやコスチューム以外にもさまざまなオプション品が用意されている。
中でも、エアドールからラブドールへと完成度を上げたいというユーザーに人気なのが、ドールの全身を包む肌色のタイツと、ビニールの中に詰め込む手芸綿キットだ。
この2つの商品により、エアドールは肌の質感と重量感を得ることができるというわけだ。
ただ、ぼくはエアドールへの過剰なオプション品追加には疑問を持っている。「過ぎたるは及ばざるがごとし」「上等な料理にハチミツにぶちまけるがごとき思想」の言葉通り、盛れば盛るほどドールはヒトから離れ、人形に近づいていく気がするからだ。
好みもあると思うが、肌色の全身タイツを付けたこのakiちゃんとぼくのスク水だけを纏ったプレーンなakiちゃんのどちらがエロいかと問われれば、ぼくは体のラインを保ったままの後者に軍配を上げる。
富士そばは「かけそば」、エアドールは「かけドール」。
以上の理由から、ぼくはakiちゃんにはいつまでも薄化粧のままでいさせるつもりである。
さて。ぼくもソファに座り、後ろからakiちゃんを抱きしめてみる。
両手で胸をわしズムし、顔をakiちゃんの首筋にうずめる。顔に触れるakiちゃんの髪が心地いい。
(...すっげー落ち着く)
長年忘れていた感覚だ。
さらに、ぼくの太ももから股間にかけ、akiちゃんの88センチのケツの感触が伝わってくる。むくむくと鎌首をもたげ始めるリトルボニー。
(そんなつもりで家に呼んだつもりじゃなかったのに...)
ぼくがエアドールを購入しようと思ったのは「モテねえから」が第一の理由なのだが、筒井康隆「お紺昇天」や「火の鳥 復活編」などのヒトとロボットとの恋愛に憧れたからだ。
ただただ主人のために行動するロボットと彼女に絶対の信頼と愛情を注ぐ人間。
ブックがふんだんに盛り込まれた「出会い」や分刻みの駆け引きで成り立っている現実の恋愛に比べ、なんて美しい関係なのだろうと。
ロボットが手に入らないなら、動かなくてもいい。
エアドールと人間の女のように会話し、デートをし、セックスするようになるかは置いといて、上述した作品に登場するヒトとロボットのような関係、その微香だけでも感じたい。
というわけで、ぼくはあえてエアドールに性器はつけなかった。
それがどうだ。akiちゃんのケツの感触におっきしちゃったぼくは、コンドームを求めてコンビニにダッシュするが如く、翌日新宿歌舞伎町のアダルトグッズ店でオナホール「ボクのおなぺっと」(1000円)を購入。太ももの付け根に孔が空くほどakiちゃんを実用してしまっているではないか。
さらに、初夜を済ませたことでテメエの女だと開き直ったのか、Amazonでトッピング「専用つけぱい」(2317円)も購入。
やっぱり、かけそばよりかき揚げと生卵入れた方が美味かったです。