アイドルを好きになるということ〜乃木坂46と今を生きる〜
1988年8月8日、横浜文化体育館で行われたアントニオ猪木対藤波辰爾における古館伊知郎の名実況である。
こんな言葉を引用するぐらいなので、ぼくは思春期から今まで、自分よりも前の世代のカルチャーに興味を持って接してきた。
映画だと、中学生の頃には黒澤明の映画に、高校の頃にはドラマ「北の国から」や「傷だらけの天使」にハマった。
音楽では、高校時代、ビートルズやストーンズ、セックス・ピストルズ、ニルヴァーナなどを手始めにルーツを遡り、50年代のブルースまで下った。高校の修学旅行は京都のタワレコしか記憶にない。
当然、同級生とは話が合わなかった。
もちろん、その時々で、「ごっつええ感じ」と「元気が出るテレビ」のどっちを録画しようか悩んだり、イエローモンキーやハイロウズのファンクラブに入ってライブに行ったり、レンタルビデオ屋から映画『セブン』の立て看板をゲットしたり、『バトル・ロワイアル』の公開初日に観に行ったりと、リアルタイムで好きになったテレビやバンド、映画もあることはある。
でも、それにしたって、古館伊知郎の言葉ではないが、兄キ世代のお下がりであり、決してぼく世代のものではなかった。
大人になってから懐古趣味はますます進み、今のカルチャーにはまったくと言っていいほど興味を示さなくなった。地デジ化以来、テレビを買い替えてないのもその現れだろう。今、コレクションしているランチジャーもそうだ。
「その歳でよくそんなこと知ってるねえ」
飲み屋で同席した40代〜60代の人にそう言われ調子こいていた反面、同世代と話が合わないことへの苛立ちもあった。
今、ぼくはアイドルグループ、乃木坂46にハマっている。きっかけは昨年11月に刊行された本「乃木坂46 握手会へ行こう!-めっちゃ攻略ブック」(アールズ出版)のテキストを担当したことだった。
その経緯は以前ブログに書いたので、よろしければ。
とにかく、知れば知るほど乃木坂46が好きになった。
メンバー自身はもちろん、曲も演技も、ブログや755に書いている文章も、すべてが愛おしい。たぶん、これほどリアルタイムのコンテンツにハマったのは、『ドラゴンボール』『ジョジョ3部』『珍遊記』などが連載されていた「少年ジャンプ」以来だと思う。
ただ、これまで現場には握手会に2回(どっちも生駒ちゃん)、ライブへの参戦は今年8月31日の夏の全国ツアーファイナルの神宮球場公演だけなので、本当のファンの人にしてみれば在宅に毛が生えた程度だろう。
それでも、これまでアイドルを素通りしてきた自分にとっては十分ハマっていることになるのだ。
13thシングルのフォーメーションで生駒ちゃんが3列目に下げられたときの怒りや、今年の神宮球場、「何度目の青空か?」「君の名は希望」「悲しみの忘れ方」で覚えた感動は誰かのお下がりでは決してない。
乃木坂46を知り、そろそろ1年になる。
ぼくにとって、彼女たちは生きる元気の源になっている。
「いくら気のおけない友人、同業者、取引先と飲んでもさ、終電で帰ってきて最寄りのコンビニで水買うときは1人じゃん。その時、雑誌売り場で乃木坂46のメンバーが表紙飾ってる週刊誌があったりすると、乃木坂、頑張ってるなあ。オレも負けないよう頑張ろうってなるんだなあ」
寅さん風に言うならこんな感じである。
そして、乃木坂46を知る以前より、ぼくは今を生きているという感覚がある。
アイドルは儚い。あらゆるカルチャーの中で、アイドルぐらい足の早いコンテンツはないのではないだろうか。
たとえば、5thシングル「君の名は希望」リリース時、音楽番組に出演したときのこの動画。
当たり前だけど、みんな、若い。初々しくてかわいい。
でも、もうこの時の彼女たちはどこにもいないのだ。動画を見て、その現実を認めるたびにぼくは泣きそうになる。いくらライブや音楽番組で過去のフォーメーションを再現したとしても、それは今の彼女たちであって、決してあの時の彼女たちが戻って来るわけではない。
アイドルは儚い(Reprise)。
儚いからこそ、ファンは惹かれ、今の彼女たちを目に焼き付けるためライブや握手会に足を運ぶ。
何年か前のTBSラジオ「爆笑問題のカーボーイ」で、太田光が三島由紀夫の「金閣寺」を書評したことがあった。
太田は、主人公が父親から話を聞いてからこれまで頭の中で描いてきた金閣寺の美しさに現実の金閣寺が超えられないことへの葛藤について語り、「ただし、主人公にとって実際の金閣寺がイメージ以上に輝き出す瞬間がある」とし、次のように分析している(動画10:30〜)。
「たとえばそこで音楽が流れている時だったりするわけですよ。音楽は尺八なんですけど、尺八のすごい上手い友達がいて、金閣寺のところで演奏して音楽が流れ出すと、突然金閣寺が輝き出すんですよ」
「三島は、音楽っていうのはすぐ消えていくもんだって言っているんですよ。旋律っていうのは聴いてるそばから消えていきますよね。絵っていうのはずっとありますよね。金閣寺は絵ですよ。でも旋律っていうのはみんな感動するけれども、じゃあどれって言われたときに、これって思えないじゃないですか。順々に聴こえて消えていく。音楽イコール時間なんですよ。つまり、静止した、何百年そこに建ち続けている不滅の金閣寺に音楽が流れたときに有限になるんです。つまり、それに時間が足されることによって、滅びゆくものになる。その瞬間、(金閣寺は)輝き出すんです。彼の中でね」
「金閣寺」の主人公と同様、乃木坂46を知ってから、ぼくの中に今という時間が動き始めた。
8月31日、真夏の全国ツアーファイナル明治神宮球場公演でぼくが見た光景。
8/26発売「FINAL BOX2015年10月号」に3つ記事書いてます
8/19発売「裏ネタJACK10月号」にルポ「タダカロリースポット巡り」書いてます
8月19日発売の隔月誌「裏ネタJACK2015年10月号」(ダイアプレス)に、ルポ「所持金ゼロで満腹に!潜入タダカロリースポット」を書いています。
餅まき、選挙事務所、銀座のギャラリーのオープニングパーティに潜入し、本当にタダ飯が食えるのか検証してきました。
よろしければ。
裏ネタJACK2015年10月号
935円+税
オリジナル乃木坂46ドンジャラの記事一覧
「乃木坂ドンジャラ」イベントの詳細決定!
先々からお知らせしていたとおり、「オリジナル乃木坂46ドンジャラ」のイベントやります!
ドンジャラは麻雀のファミリー版ボードゲームです。プレイする上でいくつかルールはありますが、初心者の方にははじめに当方が指導させていただきますし、当日はルールブックも用意します。ひとりだと心配という方はご友人同士協力してプレイしていただいても結構です。
これは麻雀もそうですが、ドンジャラはゲームをしながらプレイヤー同士が世間話できるところが醍醐味のひとつです。
今年は乃木坂46ファンにとって話題にこと欠かない一年です。2月西武ドームで開催された3周年記念ライブ、7月に公開された映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』、連続ドラマ『初森ベアーズ』などなど。
また、現在全国各地で開催されている真夏の全国ツアーやイベントの前日に行われる個別握手会など、乃木坂ファンにとってはいくら語っても語り足りない、そんな状況かと思います。
店内に乃木坂ナンバーが流れる中、グループと推しメンへの愛を牌に込め、大いに語り合える場にしたいと思っております。
多くのご参加お待ちしております。
ボニー・アイドル
イベント名 「生田 DE ドン!?オリジナル乃木坂ドンジャラで遊ぼう!」
日時 9月23日(水・祝日)13:00〜15:00
会場 Cafe&Bar MUSTANG TOKYO(中央・総武線高円寺駅から徒歩3分)
参加費 1,000円+1ドリンク代(450円〜)
お店はこんな感じです。
カウンター。
○テーブル席。ドンジャラはココでやります。
生駒里奈の覚悟〜制服のマネキンは窓際3列目の席で夢を見る〜
背中に震えが走るほどカッコいい。
音楽や映画、本、演芸などのエンタメに触れていると、稀にそんな場面や一節、瞬間に出くわす。ぼくにとってはそれがザ・フーのキース・ムーンが替えのスティックを何本も使って「マイ・ジェネレーション」を叩きまくっているライブ映像や、映画『七人の侍』で戦災した赤子を抱きながら「こいつは俺だ! 俺もこの通りだったんだ...」と慟哭する三船敏郎、映画『狂い咲きサンダーロード』でラストシーンに仁さんが見せる笑顔、小説『魔界転生』で十兵衛が魔界衆との戦いを決断する一言なんかがそれにあたる。
そんなシビレをぼくは乃木坂46が音楽番組で演った「制服のマネキン」のパフォーマンスにも感じた。
正確に言うと、乃木坂46というよりはセンターに立っていた生駒里奈にヤラレてしまったのである。
それまでぼくにとって生駒ちゃんというのは、メジャーアイドルグループのセンターで頑張っている同郷(秋田)出身の女のコにしか過ぎなかったのだけど、その動画を見てからは、同郷が生んだ芸能界史上稀に見るアクターに認識を改めた。
つーか、もう同郷とか抜きにして、このコのことは今後もずっと見ていよう。そう決めた。
それがこの動画である。
忙しい人のためにいくつかスクショで撮った画像を貼っておく。
なんだ、この表情と表現力は? と岡本太郎ばりに自問せずにはいられないほど神がかった生駒ちゃんのパフォーマンス。
他メンやそのファンの方には申し訳ないけど、「制服のマネキン」に限っては生駒ちゃんの独壇場。生駒里奈 with 乃木坂46といった風情ですらある。
「制服のマネキン」のMVやライブでのパフォーマンスを乃木坂メンバーたちは無表情に近い演技で行っている。
もちろん、曲のコンセプトである「感情を隠したマネキン」を表現しているのだろうけど、メンバー全員が無表情を徹底しているわけではなく、ライブによっては一瞬アイドルスマイルを入れたり、または切なさや憤りのような表情を浮かべるメンバーも見られる。
そんな中、生駒ちゃんだけは徹底して終始無表情。
まるで、実際に制服を着たマネキンが生きている世界があって、そこから抜け出してきたかのような存在感。
そう、他メンのパフォーマンスは歌詞の世界観を表現しているに止まっているが、生駒ちゃんだけは演技にすら見えないのだ。
そして、彼女の表情から読み取れるのは、「僕にまかせろ」とすべてを受け入れる「覚悟」だけだ。
PV冒頭、メンバーたちが作った花道中央から生田絵梨花、星野みなみを露払いに大トリで登場する生駒ちゃん。
一見、侍女を従える「王女」のようだけど、ぼくの目にはマネキンたちの中から選ばれた大事な「生け贄」のように見える。映画『ブレードランナー』におけるレプリカント・ロイや漫画『火の鳥 復活編』で月面での自決を選んだロビタと同様、感情を持ってしまった悲しくも神聖で崇高な生け贄だ。
その犠牲になる覚悟を決めた目つきにぼくはゾクゾクするような色気を感じるのだろう。
冒頭紹介した音楽番組の最後に見せた、アイドル生駒里奈の最高の表情。